プーリア…一つとして同じ顔を持たない土地。

砂と岩、緑と小麦畑に彩られた丘隆、見渡す限りの果樹とオリーブの畑、岩肌が剥き出しになった丘、穏やかな入り江、鍾乳洞、人間の手で何世紀もの時間をかけて作り上げた富饒な土地、ドルメン、メンヒル、城、教会、修道院、聖地、美術館、屋敷、別荘、大農場、塔、トゥルッリがひしめく乾き切った土地…これらがモザイク状に組み合わさったのがプーリアなのです。

四季を通じて芸術、文明、色彩、伝統、味覚を刺激してくれる土地・・・それがプーリアです。
 

Andria - バルレッタ、アンドリア、トラーニ県

プーリアの6番目の州:BAT

Cosa fare a Andria

アンドリア

3つの鐘楼の町という名でも親しまれているアンドリアは生まれたばかりの県であるアンドリア、バルレッタ、トラーニ県の県庁所在地です。人口は9万9785人 です。アンドリアはムルジェ台地の下部にあたるアドリア海からわずか10キロ内陸部に位置しています。

町の起源については多数の伝説がありますが定かではありません。

歴史的にはっきりと根拠がある説は1040年頃トラーニのノルマン人公爵ピエトロ一世がアンドリアの町の高台に砦を建設し、12の塔、3つの城門で防壁を築いたという史実に基づいています。現在アンドリアはプーリア地方の中でも人口密度が高い町の一つで、オリーブ、葡萄の栽培、乳製品製造を初めとした農業活動の他、手工業、服飾産業などの商業部門で発展を遂げています。


見どころ

多数のモニュメントがあるアンドリアの旧市街は迷路のように路地が入り組んでいます。 

住宅地から離れた丘の上には13世紀にフリードリッヒ二世に建設されたカステル・デル・モンテが聳え立っています。アンドリア、さらにはプーリア地方のシンボルでもあるカステル・デル・モンテはユネスコ文化遺産の一つで、イタリアの1セント硬貨のデザインにも使用されています。 

建築的に重要な建築物の筆頭として市庁舎 が挙げられます。元々は1230年頃、第6十字軍から帰ってきたフリードリッヒ二世の要請で建立されたフランチェスコ会修道院だったのですが、ジョアキーノ・ムラが出した修道院封鎖勅令のために1813年から市庁舎として使うようになりました。アンドリアとフリードリッヒ二世の強い関わりは皇帝が作らせた4つの城門の中で唯一残った聖アンドレア城門、11世紀に起源が遡るフリードリッヒ二世のアーチ からも見て取れることが出来ます。その他にも元は物見櫓だったと思われるフランチェスコ・デル・バルツォが作らせた時計塔、1228年にスゥエーデン王コッラード四世が生まれたとされている公爵邸、18世紀に建築されたとされるチェーチ・ジニストレッリ邸 なども重要建築物として挙げることが出来ます 

多数ある教会の中でも代表的なのは11世紀末に建立された聖マリア・アッスンタ教会 です。地下納骨堂にはフリードリッヒ二世の二人の妻ヨランダ・ディ・ブリエンヌとイザベッラ・ディ・インギルテッラが埋葬されているとされています。さらに聖棘の礼拝堂 には、アンドリアでは毎年3月25日の受胎告知の日に血痕の色が鮮やかになるという奇跡のことを知ったアンジョー家のベアトリーチェから町へと贈られたキリストの茨の冠の棘が奉納されています。内部のバロック装飾と大理石の祭壇が美しい聖アゴスティーノ教会 、1398年に建立されたゴチック様式の基盤(後に改修)を持つ聖ドメニコ教会、町の中でも一番古い(1104年)聖ニコラ・トリモディエンセ教会、聖門(聖ピエトロと聖リカルドが通ったと信じられているのでこう呼ばれる)を壊した後に建立された(13世紀)聖門の聖女マリア教会 なども注目すべき教会です。アンドリアにはさらに多数の巡礼地があります。マドンナ・デル・アルトマーレ巡礼地 は1598年に貯水池に落ちた女の子が聖処女マリアによって救われたという逸話から建立されました。奇跡の聖女マリア巡礼地 は聖母子のイコンが発見された場所に建立され、聖救い主巡礼地 は1901年に建立されました。


イベント

  • 3月25日:聖棘のイベント
  • 聖週:キリスト受難の儀式
  • 2月:カーニバル
  • 4月:4月祭り
 





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